セカンドライフの行末

(旧Blogから記事移植)
某社給湯室より中継です。

SecondLife

某広告代理店が必死になって仕掛けた「セカンドライフ日本語版」だが、大方の予想通り泣かず飛ばずの惨敗ぶりのようだ。10年以上前に3D Chat技術の日本移転を試みた立場から言わせてもらえば、D通のやり方は全く逆だとしか思えない、うまく行くはずのないアプローチ方法だ。

あたかも人がいっぱい居て面白い遊び場だと空宣伝をしても、ログインしたら人はいないし、ユーザコンテンツもコミュニティも陰も形も無く、企業店舗しか見当たらないなどと言う状態では、却って悪評判を立てるだけの結果になる。

まず人が勝手に集まって「遊べる」環境や構造をそもそも含めなければならないし、遊び方を押し付けず表立って提案などせず、素材を散りばめておかなくてはならない。商業的なアイテムは慎重に配置をし、あまり自己主張してはいけない。目的が企業コンテンツのポータルなら別だが、まず人口を増やし住民を定着させなければいけない初期段階は「コミュニティの育成」にこそ最大限のパワーを裂く必要がある。

また、この種のサービスは「仮想現実体験サービス」などではなく、あくまで「3D Chatサービス」なのだと理解しておく必要がある(いまのところは)。3DCGの豪華さはコンピュータパワーの無駄遣いでしかなく、居住するにはそれほど重要な要素ではない。むしろ無限のコンピュータパワーを喰う仕様に自己のPCが追いつかないイライラを募らせるマイナス要素にしかならない。「仮想現実」と言うか「現実感」の研究をするとわかるが、人間の現実感を上書きして「仮想」現実認識をさせることは現在もまだ全く成功していない。コンピュータパワーが足りないのではなく「現実感」を構成する重要な要素をまだほとんど発見できていない。

そのため10年後の現在のコンピュータパワーを持ってしてもあまり現実感の飛躍を達成できない。従って「仮想化された現実」を提供するというサービスコンセプトは、まだまだ全然無理がある。結局この種のサービスの決め手は「記号化された現実」と「コミュニケーション」を提供することなのだと割り切り、アバターとチャット機能を徹底的にブラッシュアップした方が良いのである。

「記号化」とはアバターのことを指すが、これはあまり「リアリティ」を求めるべきではない。「不気味の谷間」へまっしぐらな半端な「リアリティの追求」は命取りになる。真に気味が悪い物に自分を投影したいと思うのは一部の変人だけだ。この種の「記号化」されたキャラクターを上手く創造するのは日本のお家芸なのだから、アバターも日本人がクリエイトした方が良いと思う。

しかし残念ながら「セカンドライフ日本語版」には全てが欠けているので、提灯持ち記事ですら給湯室のゴミ箱でしか目にしないような状況になるのは必然なのだろう。

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